2004年 7月 <July>
可部線廃止から半年・・・沿線の現状
今回は、画像、文章ともに多く掲載しました。
表示にお時間がかかる・多少ページが長いことと思いますので予めご了承ください。
久しぶりの鉄道月報でありますが今回は、廃止後半年が経過した可部線について
3月〜5月中の情報に基づきましてご紹介します。
≪目次≫ | ||
@可部線について | A廃止後の代替交通について | B廃止後の沿線への影響 |
C廃線敷の現状と活用策 | D最後に | 鉄道月報TOPへ |
@可部線について |
可部線については、当ページ内の可部線のページをご覧ください。 廃止の経緯・詳細については中国新聞可部線のページで |
A廃止後の代替交通について | ||||||||
代替交通についてはこちらでもご紹介しています。 以下、中国新聞の記事でご紹介します。 可部線が廃止され、国道191号を代替バスが走り始めた。可部駅前―三段峡間は広島電鉄(中区)が、従来便と合わせて平日で十一往復を運行する。 この代替バスと地域を埋めるのが、各町内を巡回する支線バスだ。加計、戸河内町と筒賀村は、地元の業者に委託して運行する。可部線の廃止で運行ダイヤを見直したが、住民には「待ち時間が長く、本数が少ない」などで利用は少ない。 こうした状況に、191号を走るバスの一便当たりの乗客は二十五人前後。「長距離の路線バスとしては多い方ではない」(広電)という。「バス利用の促進策を打ち出さなければ、代替バスも廃止に向かうのでは」との懸念も広がる。(以上) まさに、この記事の通りで私が代替バスに乗ったときにも、可部線の廃止が決定する以前よりも乗客が少なかったように感じました。下の表は、そのときの情報です。乗車日2004/3/13
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B廃止後の沿線への影響 | ||
鉄道廃止によって、様々な影響が出ています。 <1>観光地三段峡への影響 毎年四月二十九日に開く「三段峡春まつり」。廃止後に初となった今年、神楽団員として舞った町産業観光課の沖段琢磨課長は、予想以上の観光客の少なさに衝撃を受けた。いつも満席だった客席は空きが目立った。二百五十台収容の駐車場も満車にはならなかった。 (中国新聞) <2>沿線の学校への影響 今春、四十八人が入学した加計町の加計高。昨年より九人多いが、石田勝則校長(53)の表情は厳しい。「これまで新入生の九割は部活動に参加していた。今年は半分にとどまっている」 全校生徒の百三十八人のうち、バス通学は半分。あとは自転車や保護者の送迎となる。それぞれの通学手段により、登下校の時間は違う。「時間がそろわないから、大半が可部線で通っていた時より、まとまって活動するのが難しくなったのだろう」と石田校長はみる。 (中国新聞) <3>通勤への影響 旧可部線沿線にお住まいの方からお話を伺いました。
ここで、ご紹介したのはあくまで一例で更に様々な影響が出ていると考えられます。 |
D最後に |
「可部線が廃止されて半年」というタイトルで今回はお送りしましたが、いかがでしょうか。 廃線敷を、壊してしまうのは、もったいないので厳しい現状ですが、何とか、鉄道として利用できないものでしょうか。まずは、全線を復活させるのではなく、短区間でもよいと思います。例えば三段峡〜筒賀。観光鉄道として売り込み、戸河内ICに近い筒賀駅までバスなどで行ってそこから三段峡駅まで鉄道で、その後は、三段峡をハイキングなんて観光プランは、いかがでしょうか。筒賀は、2本線路もありますし最適ではないでしょうか。はじめから全線を復活させるという方法は、無理なのではないかと思います。また、先述の通り、他地域の第3セクターの経営状況があまりよろしくないとも聞いていますしどうなるのでしょうか。 以前代替バスに乗ったのですが、可部線時代より乗客がかなり少なく驚きでした。このままでは、バス自体も廃止なんて事にならなければよいのですが。 大げさですが、この状態が長く続くと山間部の町村の過疎化がさらに加速し、ゴーストタウン化してしまうのではと心配です。 |
≪謝辞など≫
このページを製作するにあたって中本さんに写真・情報等をご提供いただきました。
この場を借りて御礼申し上げます。
また、中国新聞の記事を本ページに引用させていただきました。
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